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若田光一船長のプロフィールをおさらい [ニュース]

本日10時58分(日本時間)に、半年間にわたるISS(国際宇宙ステーション)での
ミッションを終え、無事に帰還された若田光一さん。
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今回のISS滞在では、日本人初のISS船長という重責を任されながらも、
「和の心」で多国籍メンバーをうまく調整し、見事にミッションを果たされました。

飛行前、若田光一さんは、ISS船長というポジションを
「課長のようなもの」
と表現していました。

ISS船長は、英語ではcommander(指揮官)と表現します。

これだけを聞くと、何やら全員を統率して命令を下し、指示するような
そんなイメージを持ってしまいますが、実際はどうも違うようです。

船長が行うとされている日常の主な仕事ですが、
・全員の作業や健康状態を把握
・地上管制局との打ち合わせ
・実験や船外活動などの計画管理
といった内容。

確かに、「指揮官」というよりは「中間管理職」の印象が強いですね(; ̄ェ ̄)

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例えば、計画が過密な場合は飛行士を休ませたり、
逆に余裕があれば仕事量を増やすといった提案を地上に伝え、
ISS全体の運用を円滑に進めていくことが求められる(産経ニュースより)
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とはいえ、ISSで最も上席のポジションであることに変わりはありません。
若田さんは、どういうキャリアを経てここまで上り詰めたのでしょう?

プロフィールを簡単におさらいしてみました。


(以下、Wikipediaより)

【出身】
 埼玉県大宮市(現さいたま市北区

【生年月日】
 1963年8月1日(50歳)

【職業】
 宇宙飛行士、技術者

【趣味】
 野球(元高校球児)、テニス、スキー、飛行機の操縦、ハンググライダー
 2001年夏の甲子園で始球式を務め、120km/hの速球を投げたことがある
 2009年のプロ野球阪神vs巨人戦では、ISSから中継で「宇宙始球式」を行った。
 九州大学在学時に「鳥人間コンテスト」に出場した経験を持つ。

【略歴】
 1976年3月  大宮市立別所小学校卒業
 1979年3月  大宮市立宮原中学校卒業
 1982年3月  埼玉県立浦和高等学校卒業
 1987年3月  九州大学工学部航空工学科卒業
 1989年3月  九州大学大学院工学研究科応用力学専攻修士課程修了
 1989年4月  日本航空入社。同社整備訓練部所属
 1992年4月  旧・NASDAによりミッションスペシャリスト候補に選出
 1994年12月 NASAより「STS-72」ミッションスペシャリストに任命
 1996年1月  スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに参加
 2000年10月 スペースシャトル・ディスカバリー号により2度目の宇宙へ。
           ISS組立ミッション「STS-92」にミッションスペシャリストとして参加。
 2004年     九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得。
 2006年7月  フロリダ州海底でのNASA極限環境ミッション運用訓練(en:NEEMO10)に
           コマンダーとして参加。
 2009年3月  スペースシャトル・ディスカバリー号による「STS-119」ミッションに参加
           日本人宇宙飛行士として初のISS長期滞在を開始
 2009年7月  スペースシャトル・エンデバー号による「STS-127」ミッションにて帰還
 2009年11月 内閣総理大臣顕彰を授与される(宇宙飛行士として4人目)
 2010年3月  NASAのISS運用部長に就任
 2010年4月  JAXAの宇宙飛行士グループ長に就任
 2011年2月  第38次/第39次ISS長期滞在ミッションへ任命
 2013年11月 ソユーズTMA-11MにてISSへ
 2014年3月  第39次ISS長期滞在コマンダーに日本人して初めて就任

【経歴】
 1996年1月、エンデバー号による「STS-72」ミッションにおいて、SFUの回収に必要な
 ロボットアームの操作技術を若田氏が修得していたため、SFU回収を行った。
 
 この技術がISS建設においても登用され、ISS組立ミッション「STS-92」に参加。
 このSTS-92ミッションは、その後の宇宙計画の成否を握る重要ミッションであったが、
 NASAはこの任務を若田に任せ、ドッキングを成功させた。

 2003年のコロンビア号空中分解事故以降、ロボットアームで船体の損傷をチェック
 するセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)の開発に関わった。
 また、2004年に九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得。

 2009年3月、STS-119ミッションにて日本人初のISS長期滞在ミッション開始。
 2009年7月、日本初の有人宇宙施設「きぼう」の船外実験施設を取り付けた。
 これにより「きぼう」は開発から20年を経て完成した。

 2009年7月3日、ISSに停泊中のソユーズTMA-14(18S)に搭乗し、
 ドッキングポートを変更する移動飛行をした。

 2009年11月25日、日本人初のISS長期滞在の功績が評価され、
 内閣総理大臣顕彰を授与される。


どうやら、「ロボットアームの操作」という希少な技術を習得していたこと
NASAに評価されたことで、一気にキャリアアップを果たしたようです。

しかし、今回は管理者としての能力も如何なく発揮された若田さん。
今後はますます活躍の場が広がりそうですね。



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